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□ 雑記 □

『蔵の中』と人格主義的コード

こんばんは。
えー、ものの見事にツイートまとめで埋まってしまっていますが、試験もひと段落したところなので、ちゃんとした記事を書きたいと思います。(来週から二段落目が始まりますが……!)

今日は、この間帰ってきたレポートから、宇野浩二『蔵の中』人格主義的コードについて語りたいと思います。そんな話興味ねえよ!という方はごめんなさい。自分の考えていたことの整理にもなるので、書かせていただきます(´ω`)

まず、<人格主義的コード>という聞きなれない単語について。これは、大正五年に夏目漱石が死去し、その「作品」ではなく漱石自身の「人格」に関する高評価がなされるようになったのと同時に成立した読解基準です。偉大で崇高な理想への到達を目指す主人公による、人格向上に向けた苦難の実践を描いている(とされる)作品、またはその作家を高く評価するというものです。

次に宇野浩二について。彼は、<人格主義的コード>成立後に文壇での地位を確立した代表的な作家の一人です。『蔵の中』という作品は、彼の代表作です。簡単に言ってしまえば、主人公であり語り手の「私」が質屋の倉の中で着物の虫干しを行い、その最中にある女性と親しくなるが、結局は破綻する、という物語です。

今回のレポートの中で私は、宇野浩二『蔵の中』が<人格主義的コード>にどのように合致していたのかを考えました。過程を述べるとそれこそレポート並に長くなるので、簡単にまとめます。
『蔵の中』の主人公は、物の匂いや女が好きで、また女よりも着物が好きな男(作家)です。人からの信用がなく、金銭面に関しては無頓着と描かれるなど、立派な人間としては描かれていません。それなのに、どうして<人格主義的コード>が成立した時代に受け入れられたのか。
私はそれを、語り手(主人公)のあっけらかんとした語り口調こそが<人格的>であり<人格主義的コード>が確立した世間に受け入れられたのではないかと考えました。つまり、主人公自身の性格が<人格的>というわけではなく、あくまでその物語の展開(ふられても相手の女性を悪く言わないなど)=語り口調を重視するべきだということです。

……簡単にまとめたつもりなのですが、長くなってしまいました(´・ω・`;)
ともかく私が言いたかったのは、どんなに主人公自体に魅力がなくても、要は語り口調が魅力的であればそれで良いんだよ! ということでした(笑)
まあ、あくまで<人格主義的コード>が通用した時代での話なんですけどね。

※どれだけだめな主人公だったかは、原作をお読みになってください(笑)
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